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27代式守伊之助(にじゅうななだい しきもりいのすけ、1928年7月18日 - 2005年11月2日)は、大相撲の立行司の一人。式守伊之助としての在位期間は1992年11月~1993年7月。春日野部屋所属。 ==人物== 大阪市港区出身。本名は福井栄三。 元三役格13代木村庄太郎の弟子で、初土俵は1939年春場所に木村英三の名で初土俵。その1年後に木村宗市(のちの26代式守伊之助)が入門。当時の春日野親方の指示で教育係に任命される。1947年6月に2代木村善之輔を襲名。1956年5月に十両格に昇格。1963年1月に幕内格に昇格と同時に14代木村庄太郎を襲名。1984年1月場所に7代式守勘太夫を抜き三役格に昇格。 1990年11月場所限りで27代木村庄之助が停年。25代式守伊之助が28代庄之助を襲名。それに伴い、庄太郎が26代伊之助を襲名する予定であったが、同部屋で一つ序列下位であった6代木村庄二郎も事務能力・裁き・土俵上の姿勢態度は非常に優れており甲乙つけがたかった。庄二郎の方が弟弟子ながら停年が早かったため、庄太郎から譲られる形で庄二郎が26代伊之助を襲名。1992年9月場所で26代伊之助が停年。その翌場所の11月場所に立行司に昇格、27代伊之助を襲名した。 立行司の在位期間は、死跡1場所のみであった14代伊之助を除けば当時の最短記録であった26代伊之助の11場所を下回るわずか5場所と短かったが、古武士のような風格を持ち、地味ながらも堅実で、的確な軍配捌きを見せた。1993年7月場所千秋楽に停年。最後の一番は1993年7月場所千秋楽の関脇若ノ花-大関小錦のはずだったが、13勝2敗で横綱曙、大関貴ノ花、若ノ花の優勝決定戦となり、優勝決定巴戦第1戦の曙-若ノ花が事実上最後の裁きとなった。 時間いっぱいでの立ち合い前は、「待ったありません。双方手を下ろしてっ!」。立ち合い後は「はっけよいのこったのこったのこったのこったえっ!」。どちらも歯切れの良い掛け声であった。 引退してしばらくの間は、同部屋のマネージャーを務めた。 2005年11月2日に逝去。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「式守伊之助 (27代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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